宮崎市定『アジア史論』が超面白かった

戦後日本を代表する東洋史学者が、西はシリアから東は日本まで含めたアジアを中心に世界史を論じる。文明間の交通を軸に話を進めるのでとにかくダイナミック。

シリアが古代より世界のハブだった、とか、プロテスタントの改革は既にイスラム教が成し遂げていたスキームの横展開だったとか、中世は近代のための準備期間だった、とか。中世に成功しすぎたイスラム世界は、その成功が故に没落も悲惨だった、とか。今のイスラム世界の辛い感じを見てどう思うんだろうな。

僕はウォーラーステインをちゃんと読んでないんだけど、その影響を受けたと思しき人の本を読む感じだと、とても似ているように思う。ということでニーアル・ファーガソン、水野和夫あたりが好きな人はハマるはず。

以下、面白い所を抜書き

p.8

また文化の影響ということが、いつも清水の中にインキを垂らしてこれを染めるようにばかり行われるとは限らない。人類は叡智を持った生物なので一を聞いて十を知り、単にヒントを与えられただけで奥義を悟ることがあり得る。

p.37

所詮、イスラム教キリスト教との間には近世と中世との相違が横たわっていた。ルーテルの宗教改革こそは、中性的キリスト教をして近世的水準にまで向上させようとする運動に外ならなかった。そしてその説くところはと見れば、進行の根拠を根本経典たる『聖書』に求めようとし、聖徒の軌跡を含む一切の迷信を排斥し、僧侶は単に宗教的知識の宣布者たるべくして進行の媒介者であってはならず、また彼らの結婚生活を承認すべし等と説く。それらの事柄は、いずれもそのの規範を当時のイスラム教に見出すことが出来る。

p.74

論語』や『孟子』はその主人公の伝記の一部分として歴史的に読むべきものであろう。(中略)現今の時勢にも間に合う所だけ読んで利用しようというのでは意味をなさぬ。それでは鏡に向かって、自分の姿のある角度だけを移すのと変わらない。

p.293

一個の閉ざされたる社会における平和の維持し難きは、一個人の閉ざされたる平和の維持し難きと同断である。これは倫理でもなく、道徳でもなく、ただ歴史が教うる現実なのである。

p.318

一般的に言って好条件は複雑な条件の結合の中から生れる。何とと言っても、手持ちの駒が豊富なでなければ完璧な布陣はできないものだ。そして豊富な持駒は、狭い局地で取り揃えることはできにくい。一番いいのは公益だ。交易ほど経済的で効果的なものはない。